富山国際大学野球部 OB会

Alumni Association

2022年11月総会

2022年11月総会

Greeting

ご挨拶

富山国際大学硬式野球部OB会 幹事長
村崎 正和(実践学園)

富山国際大学硬式野球部OB会の幹事長を務めさせていただきます村崎正和です。 皆様におかれましては、ますますご健勝のことと存じます。また、日頃より富山国際大学硬式野球部を応援していただき厚く御礼申し上げます。 さて、富山国際大学硬式野球部OB会は、会員相互の親睦と融和を図る事と、現役選手への物心両面にわたって支援することを目的として活動していきます。
このOB会は私と同期で会長の石倉誠が発起人となり2021年にOBの皆様のご協力を得て発足いたしました。 これまでの活動としましてはホームページの開設、バッティングマシンの贈呈などを行ってきました。 是非ホームページでは現役選手の活躍を知って頂き、また進学を希望される高校球児の皆様への情報発信となれば幸いです。
野球部は平成15年秋に北陸大学野球リーグ1部で初優勝をいたしましたが、全国大会へは出場しておりません。 「明治神宮大会への出場」を目指して一丸となりサポートをしたいと思います。
今後もOB会の皆様の様々な意見を取り入れながら、会の運営を充実にしていきたいと思いますのでご協力の程、宜しくお願い申し上げます。


Officer

役員紹介

会 長 石倉 誠 
(富山商業)
副会長 杉瀬 啓
(富山第一)
副会長 藤田 剛士
(高岡向陵)
副会長 永森 翔
(高岡商業)




Club dues

会費について

日頃は、野球部の活躍にご支援ご協力を賜りありがとうございます。努力を重ね、切磋琢磨をかさねていますチームのために、選手発掘の情報提供や勧誘はもちろんのこと、ボールなどの消耗品の購入など、物心両面のサポートを行っていきたいと思っております。会員相互の連携、活動の周知徹底を図り如いては本会の更なる発展に繋げればと考える次第です。そのためにもOB皆様方のご協力が必要です。郵送しております口座にお振込みをよろしくお願いいたします。

振替口座

ゆうちょ銀行からの振込の場合【記号】13280 
【番号】18578501 
富山国際大学野球部OB会
銀行からの
振込の場合
【店名】三二八 
【店番】328 
【普通預金】1857850

金融機関からゆうちょ銀行口座への振込は、振込用の店名・預金種目・口座番号が必要です。
ゆうちょ銀行口座番号(記号・番号)のままでは振り込むことができません。)

OB会費ご協力者 一覧名簿


Introduction

OB紹介

藤田剛士(2004年度卒業)

Q1.高校時代の戦績を教え下さい。
高岡向陵高校3年時、春季大会準優勝、北信越大会出場、夏はベスト8でした。高校1年生の冬に富山県代表メンバーに選抜され、台湾遠征にて試合をさせていただきました。


Q2.富山国際大学野球部に入部したきっかけ、また思い出を教えて下さい。
入部を決めた1番のきっかけは富山商業を7度甲子園に導いた武内富士夫さんが当時、監督になられて熱心にお誘いをいただいた事です。
社会人野球の道へ進もうと思っていましたが弱いチームを自分で強くしたい、強いチームと戦って勝ちたいという思いに変わりました。また、同世代のライバルの仲間にも声をかけて僕らの代で神宮に行こうと誘いました。
思い出としては3年の秋のリーグ戦で初優勝した事です。4年の春・秋のリーグ戦は2位。春は目標であった神宮球場で行われる全国大会をかけた試合、3連投しましたが負けてしまいました。 2年時には完全試合、3年時にはノーヒットノーランを達成、4年時には大学日本代表候補に選ばれ同世代のドラフト候補と練習した事が良い思い出です。


Q3.母校の初優勝に貢献されましたが、どの様なチームでしたか?
当時のチームはキャプテンの永森翔(高岡商業)を中心に、とてもまとまりがあり良い雰囲気のチームでした。その中でバックを信頼して、のびのびと投げれたと思います。


Q4.大学卒業後は社会人の強豪チームTDKに行かれました。
社会人2年目の都市対抗野球で全国優勝する事ができました。準決勝に登板し、勝ち投手にもなりました。
1年目の都市対抗出場を逃し、それまでは午後から練習していたのが、夕方まで勤務をし、夜19時から練習。24時を回る日がほとんど。 都市対抗に出場できれば元の練習体制に戻るということもあり1年間はハングリーにやった思い出があります。その成果もあり、2年目の都市対抗優勝に繋がったと思います。


Q5.現在はどの様な活動をしておられますか。
キレダス関連の仕事で、全国のチームを回ったりイベントで投球改善、バッティングの指導を行っています。 また、個人で子供を対象とした野球教室を運営しています。小学生から高校生まで、投球やバッティグ技術指導はもちろん、野球に関する相談など、選手をサポートをしています。 これからも、野球で恩返しをしていきたいと思っています。


Q.富山国際大学野球部の後輩たちに一言。
人生の中で大学野球は4年間しかありません。努力すれば必ず返ってくると思いますので、悔いなく大学野球をやり切って下さい。





相山 慎(2016年度卒業)

Q.高校時代の戦績は?
高岡商業高校に入学してすぐに試合に出場、北信越大会にもレギュラーとして出場しました。その後はケガに苦しんだり、甲子園に出れずに悔しい思いをした3年間でした。


Q.富山国際大学野球部に入部したきっかけ、また思い出は。
高校時代に野球が嫌になり続けるつもりはなく就職するつもりでしたが、親とも相談し、大学でもう一度野球を続けることを決意しました。吉村監督が高校まで試合を見に来ていただき声をかけていただきました。
大学でも1年生の春から試合に出させていただきました。バッティングに自信があったのでなんとしても首位打者を獲得したいと努力し、3年生の春季リーグで首位打者を獲得できたことが一番の思い出です。 3年の秋季リーグからはキャプテンを務めましたが、それまで下級生で試合に出ていたのが自分と投手の齊藤(不二越工業出身)しかいなかったので、新チームになりチームとして経験値が少なく苦労しましたが、最終的にみんなたくましくなってくれて嬉しかったのを覚えています。


Q.大学卒業後は地元の社会人チーム、富山ベースボールクラブに進まれました
(戦績、思い出など)

監督とも相談し、社会人野球の道に進みたいと思い、当初は愛知の社会人企業チームに進む予定でした。しかし、4年生の春季リーグ終盤に肩をケガしてしまい、引退してからは手術も行い、社会人で野球を続けることを断念。普通に就職して野球のない生活を送りました。
その後、気晴らしでバッティングセンターに通っているうちに少しずつ肩が治っていることを実感、野球をしたいと思い富山ベースボールクラブに先輩もいたので声をかけていただき入団。肩は万全でなかったため主にDHで試合に出場し、北信越大会で首位打者を獲得したり、その他の大会でも敢闘賞など受賞することもできました。
2021年シーズンはキャプテンを務め、北信越準優勝が最高成績でした。 その年に子どもを授かり、家庭も大事にしたかったので引退を決意しました。


Q.現在はどの様な活動をしておられますか
現在は会社員として働く傍ら、休日にフォトグラファーとして活動しています。
2023年からは県野球連盟の広報として活動することになりました。 自分自身も経験した社会人野球はアマチュアの中で一番レベルが高く、スピード、パワー、ガッツどれも本当にすごいです。ただ、一番レベルの高い社会人野球がなぜ、それほどフォーカスされないのか以前から疑問を感じていました。 そこで連盟の方からもフォトグラファー活動をしているのを知っていただいていたので広報活動をしないかとお声がけいただきました。 SNSで情報を発信することからはじめ、少年野球との交流、試合観戦者の増加のための企画も考えています。野球人口の減少、県内野球レベルの向上、そして富山の社会人野球チームで野球がしたいと思う選手を増えることにつなげたいという思いが強いです。


Q.富山国際大学野球部の後輩達に一言
高校野球とは違い、自分でとことん考えてやれるのが大学野球だと思います。良くも悪くも自分次第で結果が伴います。4年間という限りある時間を大切に、有意義に使ってください! そして、全日本大学野球選手権、明治神宮大会の出場を目標に頑張ってください! 一緒に富山の野球を盛り上げましょう。





村西徹也(2007年度卒業)

Q.高校時代の戦績は?
砺波工業高校2年生の時に県大会で春・秋は準優勝し夏はベスト8でした。1学年上には元中日ドラゴンズの桜井好実さんがいました。


Q.富山国際大学野球部に入部したきっかけは。
高校3年時に富山国際大学が初優勝したのがきっかけです。当時は県外の大学へ進学したいという思いよりは、地元の大学で野球がしたいと思っていました。やはり目標は全国大会である明治神宮大会に出場する事でした。


Q.大学卒業後は地元の社会人チーム、伏木海陸運送野球部に進まれました。
伏木海陸運送野球部の補強ポイントが内野手とのことでセレクションを受けました。自分は当時ショートを守っていたので良いタイミングだったのではと思います。また全国大会にも5回出場し、34歳まで大きな怪我もなく現役で続ける事が出来たのは誇りです。


Q.昨年から伏木海陸運送の監督となりました。
元ヘッドコーチで日本生命時代に監督経験のある花野巧さんの助言もあり、監督を引き受けさせて頂きました。富山県は企業チームが3チーム(伏木海陸運送、ロキテクノ富山、IMF BANDITS富山)とクラブチームが1チーム(富山ベースボールクラブ)があり激戦区です。


Q.監督就任1年目で都市対抗に出場されました。
1回戦で大阪の強豪、パナソニックに負けました。終盤も追い上げていたのですが、1-2で悔しい敗戦となりました。ただ、全国の強豪と互角の試合が出来たことで、自信にもつながりました。全国大会である都市対抗野球には過去5回出場していますが勝利はあげていません。今年こそは悲願の1勝を目指します。


Q.富山国際大学野球部の後輩たちに一言。
OBという立場として、やはり後輩達の試合結果は、気になります。もちろん、1部で優勝を目指して欲しいですが、社会人野球など、上のレベルでプレーする選手が増えて欲しいです。お互い、頑張りましょう。





坂野隼斗(2018年度卒業)

Q.高校時代の戦績は?
中学の新川ボーイズ時代、日本代表選考の練習に参加した際に、グラウンドへ見に来られた岐阜県・大垣日大高校の阪口監督に声をかけて頂き、県外へ進学する事を決めました。高校時代は怪我に悩み、チームとしては2年、3年と連続で甲子園に出場しましたが、自分はベンチ入りが出来ませんでした。


Q.富山国際大学野球部に入部したきっかけは。
ボーイズリーグ時代の先輩で富山国際大学で主将も務めた相山慎さん(2016年度卒業、高岡商業出身)からお誘いを頂き、当時監督の吉村康成さんが大垣日大まで、出向いていただいたのがきっかけです。阪口監督からも後押しして頂き、自分にとっては野球をあきらめかけていた時だっただけに有難いお話でした。


Q.富山国際大学時代の思い出は。
1年春からリーグ戦に出場させて頂き、調子が悪い時でもチャンスを頂きました。県外の強豪校から来た事がプレッシャーとなり結果が出なくてもがいていた時に、吉村監督から付きっ切りで指導をして頂きました。2部リーグではありましたが3年秋に首位打者を取り、4年春には最優秀選手賞を受賞する事が出来ました。また、主将をやらせていただいた事で、より上でプレーをしたいと思いました。


Q.その後、社会人クラブチーム・佐久コスモスターズに入り現在は独立リーグ・富山GRNサンダーバーズへ
佐久コスモスターズへは富山国際大学野球部の先輩、斎藤康二さん(2010年度卒業、米子北出身)から声をかけて頂いたのもきっかけです。もう一度、富山国際大学で学んだ事を県外で発揮したいと思いました。そして、最後に地元で挑戦したいと思い独立リーグにチャレンジしました。1年目からスタメンで使って頂きましたがシーズンを通して戦う難しさを学びました。NPBで活躍された方々からプロの意識を教わり、全国、海外問わず野球で上を目指す選手とプレーができたのは野球だけではく人間的にも成長をさせてもらいました。


Q.富山国際大学野球部の後輩たちに一言。
自分達の時は2部リーグでしたが、後輩達には1部リーグで優勝して神宮大会に出場して欲しいです。私は怪我などでどん底を味わった人間なので、出来る選手より出来ない選手の気持ちがわかります。野球を通じて経験してきた事をOBとして後輩たちにアドバイスが出来ればと思います。